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食べてから、考えよう!

自分の周辺半径100人ぐらいを健康にするのが夢

大事なものはストリートにある

 

 

私が暮らしている地方都市。

 

駅前開発がどんどん進んで、

服や化粧品をわざわざ都内近辺まで行かなくても手に入る環境になってきた。

 

食べ物も、おしゃれなカフェやエスニック料理店がじゃんじゃん増えてるし、

あらゆる生活用品を取り扱う小洒落た雑貨店なんかで、珍しい食材や調味料を買えるようにもなってきた。

 

そう。

ここ数年で、ネット販売だけではなく直接目でみて吟味できる選択肢がものすごく増えた。

ので、それぞれの生活水準も上がってきたと思う。

 

私も新しいことには興味があるし、人が集まる中心街に出向いたり、SNSなんかで情報収集したりする。

しかし中心に集まるそれらは、一度都会で試した二番煎じ(言い方悪い)が多いことに気づく。

 

 

いつの世の中も、スタイルや流行を作っているのはストリートだ!

という誰のだか忘れたけど、この名言に私はとても共感を覚えるので、

 

ならばストリートに出向いてみよう!

と、暇な有休期間を利用して主に普段通らない中心から外れた道を、街ブラしてみたのである。

 

 

 

出てくる出てくる。

SNSやメディアでは追っつかない小さな情報たち。

店先に貼られた貼り紙とか

街の掲示板とかチラシとか。

 

このデジタルな世の中で、いまだにこんなアナログなやり方してんのかと、

関心する傍ら、

自分の行動力の無さを間接的に指摘されたような感覚を覚える。

 

教訓として、もらったチラシ(手書き)は捨てずに取っておこう。

 

 

 

 

駅前からはそう離れていない一本それた道路沿いに、やたら元気な店が見えた。

 

居酒屋や事務所、小学校などが周辺に固まっていて、クルマも歩行者も交通量は割と多い。

もう一本そっちの細い道路に入ると、学生や外国人が多く住んでいるアパートマンション街になる。

 

言ってしまえばそんな雑多な(でも活き活きした)、場所でわたしが気になったその店はやたらと元気なのである。

ただでさえ活きた環境で、例外的に元気。

 

 

近くまで来て納得。

八百屋である。

 

歩道まで並べられたコンテナにうず高く積み上げられているのは、旬の野菜や果物。

一歩店に入ると、30センチ間隔ほどに区切られてたくさんの種類の食品が陳列されている。

 

意外と奥行きがある店で、奥の方には自然食品や乾物のコーナーがあったり、

とにかく店の中が目が痛いぐらい賑やか、、!

 

働くスタッフも、

狭い店内をバタバタ駆け足で走りながら、常連客となんでもない会話を大声で楽しそうにしている。

と、思えば、こっちのスタッフは、体に気を遣ったような客の、食べ物の相談にのっていたりと、

 

とにかく外見から内面まで賑やかで忙しい。

 

 

街の商店という感じの、どこか懐かしい雰囲気が漂っていて、

どんな方でもどうぞいらっしゃい!な姿勢がすごく心地よかった。

 

 

一通り店内をぐるりと回って、今晩の夕食に必要な野菜数点を買おうとしたところ、

きゅうり売り場でふと目がとまった。

 

たぶん歳は20代前半の、大学生か専門学生。

とてもかわいくて、やたらおしゃれな服装の、今時のコたち2人組。

明るいレッドの口紅が、肌のツヤを余計目立たせているような、そんな若者。

 

 

2人で身を寄せ合って、

まるで化粧品を選ぶように、きゅうりとナスをどれが新鮮そうか美味しそうかと選んでいた。

 

すまして聞いていると、

こっちは大きいけど色薄いよね

でもこっちは小さくて美味しそう

とか、

 

まるで

こっちのマットなリップとこっちのツヤ感あるリップどっちがいい?

バリに、野菜を選りすぐっていた。

 

 

なんだかすごく嬉しくなったと同時に、

自分が恥ずかしくもなった。

情報が溢れた世の中のほんの片隅の小さな八百屋のこれまた片隅で、

かわいい女の子達が、自分なりの千里眼で、自分が口にする食材を一生懸命選んでいるのである。

 

 

ほんの数件歩けばコンビニやスーパーがあるこの街で、なんなら隣にはファミレスがあるというこの八百屋で、

彼女たちは生鮮食品を選んでいる。

 

溢れた情報の中で、

どれを選択するかは自由だけど、

この子達はきっと正しい選択をしていると、

わたしは感心した。

 

最終的に彼女たちは、

一袋三本入りのきゅうりは一人暮らしには多いから、じゃあ一袋買って2人で分けようよ!

と言って新鮮そうなきゅうりを買っていった。

 

 

 

今までの私には、こんな選択ができただろうか?

世の中と、その世の中についていく自分と、向き合うのに必死で、

全て流されていたのではないだろうか、と、

きゅうりと彼女達をみて思った。

 

本当に大切なことはいつも目の前にあるのに、

情報に埋もれすぎて見失って(もしくは見てないふりをして)いたに違いない。

少なくとも、自分の近辺にこんな活き活きした八百屋があるなんて気付かなかったし、彼女達のようにして食品を選んだ事は無かったかもしれない。

 

 

自分から得ようとしなくても、情報のほうからやって来るようなそんな現代。

だからこそ選択肢は増えたけど、選択したそれらは、本当に自分が必要とした・得たいと思ったものですか?

本当はこっちの方が、自分の身に合っていると薄々気づいているはずなのに、世の中に流されて違う方を選んでしまっていませんか?

 

 

たかがきゅうり。

けど、わたしは思います。

前のブログでも書いたように、人生は選択の連続。

なにも大きい選択ばかりが重要なわけじゃない。小さな選択の連続が、何年後かに繋がるんじゃないか。

 

重要なことって、たくさんある。

けどまずは、毎日続く食事の選択を見直せば、生きてるうちでこなさなければいけない大きい選択も、うまく選んでいけるんじゃないだろうか。

 

世の中の問題って、トドのつまりは台所の問題だと、

誰かが言っていたけど、私は彼女達からそれを直に学んだ気がした。

 

 

 

 

この世の中と、上っ面ばかりの自分に、ほとほと嫌気がさしていたから、

 

この途方も無いくだらない街に、活き活きと佇んでいるこの八百屋と、正しい千里眼を持った彼女らと、選ばれたきゅうり達が、

私の心にスーっと爽やかな一風を吹かせてくれたと同時に、

 

高校時代に陶酔した、梶井基次郎檸檬」の一説が頭に浮かんだ。

 

---------その日私はいつになくその店で買物をした。というのはその店には珍しい檸檬れもんが出ていたのだ。檸檬などごくありふれている。がその店というのも見すぼらしくはないまでもただあたりまえの八百屋に過ぎなかったので、それまであまり見かけたことはなかった。いったい私はあの檸檬が好きだ。レモンエロウの絵具をチューブから搾り出して固めたようなあの単純な色も、それからあの丈たけの詰まった紡錘形の恰好かっこうも。――結局私はそれを一つだけ買うことにした。それからの私はどこへどう歩いたのだろう。私は長い間街を歩いていた。始終私の心を圧えつけていた不吉な塊がそれを握った瞬間からいくらか弛ゆるんで来たとみえて、私は街の上で非常に幸福であった。あんなに執拗しつこかった憂鬱が、そんなものの一顆いっかで紛らされる――ある-----------